自分本位

僕は基本的に自分本位に生きることは悪いことだと思わない。

 

人に迷惑をかけてもいいと言うわけではない

 

自分の利益、自分の気持ちに沿って行動することは悪いことではない

 

人のために行動なんてしなくてもいいし

 

人の目も気にせず自分の意思を尊重し行動するべきだと思う

 

そう考えてする行動は果たして人に迷惑をかけることがあるのだろうか?

 

この人と全く関わらずにいきて行くことの難しい社会に生きていながら

 

人に迷惑をかけ、白い目で見られながら生きることは本当に自分のためにできている行動なのか?

 

自分の意思に沿って行動して

 

それが結果として他人に迷惑をかけたり社会的に間違った行動だとしたのなら

 

考えが至らなかったのではないかと思う。

 

時と場所を選び相手を選び環境を整えて行動に移す

 

踏むべき手順を踏めばその行動、言動は自分本位、自己中心的なものなどではなく

 

ひとつ芯の通った魅力的なものに移るに違いない。

 

 

 

優しさとは?

私は、よく人に優しいと言われる。

 

大抵「ありがとうございます」と笑ってすますが、

 

決して自分は優しいとは思わない。

 

薄情なだけである。

 

人のミスを笑って許せるのは、はなから特に期待していないからだし

 

頼まれたことを嫌な顔せず受けるのは断るのがめんどくさいから。

 

困ってる人を助けるのだって気が向いた時だけ

 

自分がいいことをしたと思いたいからしているようなもの。

 

だけど、しかし、優しさと言う定義が自分を客観視する自分以外の誰かによって決められるものだと言うのなら

 

自分がなんと思っていようが優しいと言うことになるのかもしれない。

 

それを偽善と言うのだとも思えるが、、

 

しかし、私は彼女に対してだけは本当に優しいんじゃないかと思うことがある、

 

おそらく愛があるからだろう。

 

その愛の有無が本当のお優しさと偽善を区別する基準になるのかもしれない。

 

いい事をしたとも思わず、見返りも求めず、至極当然のように行う行動の中に優しさを感じられる

 

そんなのが理想だと思う。